ご無沙汰しております。
21卒から22卒にワープする、
いつき(@guchi_gucchi123)です。
昔からブログを読んでくださる方は
すでにお分かりかもしれませんが、
タイトルからもわかる通りに筆者は
新卒で入った会社を1年未満で退職し、
その後、大逆転転職に成功しました。
この記事では
自分の社会人1年目を振り返りつつ、
メーカー×僻地勤務・地方配属×工場
職歴やスキルが不十分な中で、
なぜ転職で成功できたのかを
お伝えできればと思います。
初めに
この1年間、
丸々働いていたわけではありませんが、
自分なりに思うことは色々あったので、
まずはそれについて語ります。
会社にはいろんな「ガチャ」がある
就職活動の時は
おそらく、多くの人たちが
- 会社の規模やネームバリュー
- 希望職種
に囚われていた気がします。
実際のところ、
大手有名企業の希望職種に
就けたからといって、
その人が今、幸せに
仕事しているかは別問題です。
自分が思い描く
社会人像を実現させるには
多くのガチャで当たりを
引く必要があることを
目の当たりにしました。
ざっと思いつくだけで、
- 勤務地ガチャ
- 総合職の職種ガチャ
- 上司ガチャ
- 教育係ガチャ
このようなガチャがあります。
残念なことに、
自分はこれらでハズレを引いて、
精神的に追い込まれる
社会人生活を送るハメになりました。
またこれは、自分だけじゃなく、
大手有名企業に入社した人でさえ、
ガチャでハズレを引いて、
病んでしまった人も多く見かけます。
希望通りの会社・職種に就いて、
上司や教育係に恵まれ、
同僚と仲良く仕事!
なんて世界線は
ごく稀にしか存在しません。
社会人生活に過度な期待は禁物ですね。
よ〜く学びました。
どこで働いているかよりも、何ができるかを大切に
前職場で思ったのが
特に何かに秀でているわけでもなく、
なぜかすごく偉そうな態度の人が多い
ということでした。
世間的に見れば、高級取りの
(なんちゃって)ホワイト企業勤めなので、
誇らしいといえば誇らしかったのでしょう。
でも、すごいのはあなたじゃなくて、
会社ですよね?ということです。
会社という看板がなくなった時、
あなたは何ができるんですか?
これは転職で特に重要だと思っています。
どこで働いていたかよりも、
自分が持っている能力が
他社でも発揮できるかどうかの
再現性が重要だと思いました。
勤務歴の長い人が
ずっと勤めている会社で、
偉そうな態度を取るのは簡単です。
でも、その人が仮に会社をクビになって、
外に放流された時に、
一体、何ができるんでしょうかね?
自分の市場価値の理解、
客観的に自分を見る癖だけは
忘れないようにしようと、
肝に銘じました。
学生気分の浮かれ期間
まだ仕事が楽しいと思っていた、
4月の研修期間について。
期待に満ちた入社式・新入社員研修
今思えば色々狂気に満ちていた。
この辺で違和感に気づくべきだった?
このご時世で製薬会社が対面研修かよ
結論、同期との仲は深まったが、
別にオンライン研修でよかったと思う。
なぜなら研修自体の
コンテンツが微妙だったから。
あと、製薬会社の人間が
コロナにかかるわけにはいかない!
と主張しながらも、
対面研修にされた意味がわからんかった。
外出制限もあったし、
多数のルールに縛り付けられてたけど、
ゲームOKだったのが唯一の救い。
ホテルのご飯はおいしかった。
一番意味がわからんと思ったのは、
「狂気に満ちた謎の懇親会の準備」
時間の無駄じゃね…って感じでした。
今でもなんであんなのやったん?って感じ。
壮行会だったらまだわからんくもなかった。
研修なんてほぼ遊びだった
博士卒から高卒まで
幅広い年代がいたので、
研修のレベル自体は
比較的、低年齢層でも馴染めるような
コンテンツが多かった気がします。
クイズ形式の商品研修とか、
洒落たスライドを使う外部講師のGD研修
などなどなど…
今思えば、一つ一つのコンテンツの
中身は薄かったように感じますね。
現職の新入社員研修の
コンテンツの方が
よっぽど面白そうだった。
優秀な同期に恵まれた
退職した理由に同期に罪はありませんが、
本当に優秀な方々に恵まれたと思います。
逆にこれから会社に飼い慣らされて、
その優秀さを発揮できないとしたら、
本当に可哀想だと思ってしまいます。
自分に内定を出した会社が、
一番輝ける場所とは限らない、
という考え方も重要だと思います。
少なくとも自分は、
前職場との相性は最悪でした。
元同期たちも今は
何しているんですかね。
正直、あまり興味はないです。
もう他人なので。
地獄の労働期間
工場に配属されたら、
本当に地獄でしたね!!!
毎日、製品をぶっ壊したい
衝動に駆られていました。
ここで就職したことに対する
後悔が沸々と湧いてきたのです。
違和感しかないOJT
自分が「なんかやばくね?」と
工場に足を踏み入れた
その日に感じたことを、
今でも明確に覚えています。
具体的にどうやばいか
言語化できるまで、
時間はかかりましたが…
働いている人の目が死んでる
死んだ魚の目って
こういうことか…と実感。
目に光が宿ってないんですよ。
そして、部外者には挨拶しない、
村社会の空気感もとても怖かった。
作業服着てない人間には、
挨拶しない文化が恐怖でした。
上司のプレゼンが下手くそすぎて絶句
学歴で差別するつもりはありませんが、
やはり大卒以上の方は
プレゼン慣れしている人が
多いんだなと思いました。
正直、研究室のゼミの方が
まだうまいプレゼンをする人が多く、
社員の方々のプレゼン力のなさに
絶句してしまいました。
何を伝えたいのかが、
全くわからないプレゼンが
続く地獄を味わいました。
最初の仕事が会社の尻拭い
あまり言及すると会社バレしますが、
「新入社員がいきなり尻拭い!?」
とばっちりくわったわ。最悪。
と思う内容の仕事が初めての業務でした。
僻地の狭いコミュニティにうんざり
僻地配属・地方勤務ゆえの宿命でしょうか?
- 〇〇さんは社内結婚
- △△さん家は親子で勤務
- 〇〇さんと■■さんは親戚
- ××さんと●●さんは同級生
- □□さんの子供と◎◎さんの子供が結婚
これらを暗記しないと
会話についていけないのが
本当に辛かったです。
まじで興味ないっす。
逆に狭すぎてキモかったです。
シンプルに恐怖でした。
拒絶反応を示さざるを得ません。
地方勤務・僻地配属の愚痴は
下記の記事にと〜ってもよくまとめています。
勤務地、大事。マジで!!!!
目的もなく虚無感ばかりの日々
ルーティンワーク、
代わり映えのない日々、
目標なく、未来の見えない毎日。
本格的に病み始めました。
気持ち的には軍隊かロボット、毎日同じことの繰り返し
研究で毎日、フレキシブルに
動いていた時とは打って変わり、
仕事は代わり映えのない日々を
無限ループするような感覚でした。
自分の成長も実感できず、
毎日誰かに監視されて、指示されて、
自由な時間がなくて地獄でした。
もう少し時間も心も
余裕を持って仕事するような、
自由度の高い職場の方が
自分には合っていたようです。
期間の定めのない現場研修に意味が見出せなくなる
最初の方は現場研修の
意味や意義を見出そうと必死でした。
現場研修で何を身につけて、
その経験をどう役立てればいいのか…
自分なりに考えても、
これだ!とピンとくるものがありませんでした。
そのため、現場研修の意味や目的について、
上司・先輩・Yahoo!知恵袋
色々な場所で質問しました。
多種多様な回答に触れましたが
どれもしっくりくる回答はなく、
(中には意味なんてないという返事も)
そもそも自分に向いてない仕事なのか?
という疑念ばかり膨れ上がりました。
今の職場では
安全の重要性等々の考え方で、
しっかり役立ってくれています。
人間関係について相談しても「我慢しろ」で終わり
この辺りから、
お局との人間関係で揉めていました。
上司には言いにくかったので、
研修でお世話になった人事に
相談することにしました。
しかし、勇気を出して人事に相談しても
「そんな人いっぱいいるから我慢して」
と流されて終了。
この辺りから、
自分の部署だけではなく、
会社全体に対する不信感が倍増。
今思えば、こんな会社は
切り捨てて正解でした。
体調の異変、全部がどうでもよくなる
体の不調は本当に色々ありました。
入社半年未満で
胃薬は手放せなくなる、
急な眩暈・吐き気に苦しむ、
などなどなど病院代や薬代もかさんで、
いいことありませんでした。
ひたすら粘着質で嫌味ばかりのお局
退職した理由の8割ぐらいは
このババア(お局様)が原因ですね。
本当に粘着質で、
重箱の隅をつつくような指摘や、
嫌味ったらしい言い回し、
こんな人間になりたくないと
自分の中で誓いました。
もう一生関わることないので、
どこかで苦しんでくれないかな〜
自分の仕事の代わりはいくらでもきく
派遣社員も多く雇っていた部署なので、
「別にこの仕事、派遣社員でも良くね?」
と気づいたのでどうでも良くなりました。
自分しかできない仕事なんて、
当時は存在しなかったので、
休んだところで問題ないよね。
という気持ちはいつもどこかにありました。
限界の休職期間
9月末までは頑張ろうと思いましたが、
お盆明けに心が折れ、
限界に達したので急遽、休職しました。
出社せずに休職
休職に関する詳細については
下記、記事の方が詳しいかと思いますが、
ここではざっくり振り返りたいと思います。
ある日、我慢の限界がきた
お局の一言がきっかけでした。
また、嫌味を言われた時でした。
その時に閃いたのが、
「この日に休めばお局が苦しむ」という
思考が突如、舞い降りたんですよね。
もう色々と我慢の限界でした。
確かその日は、
お局のワクチン接種の翌日かつ
欠席者がいてチーム内が人手不足。
結果、お局に痛い目見ろよ。
と思ってその日に体調不良の連絡をして、
当日欠勤を決め込みました。
会社の仕事なんて、知ったこっちゃねえわ。
と罪悪感なんて微塵もありませんでした。
休職手続きを全部メールで完結
その後、上司には
通院中で服薬している。
病院から休職を勧められた。
休職したい。
という旨をメールして、
手続きを完了させました。
この辺りはスムーズでよかったです。
新人・新入社員の分際で、
入社半年未満で、
休職することには
少なからず不安はありましたが、
今思えばファインプレーでした!
心身症・うつ状態・難聴の診断
メンタルが限界に達して、
病院に行った時に診断されたのは
「心身症・うつ状態」の診断でした。
後に、耳鼻科に行ったら、
「軽度難聴」の診断ももらい、
こちらは現在も労災で揉めています。
最悪の環境下で働いたことで、
多くの健康を損ないました。
あれ以上働いていたら、
もっと自分が壊れたていたと
思うと恐ろしいです。
入社半年未満で、
ここまで心身ともに
ボロボロになるんだなと。
序盤は中途覚醒・金欠に苦しむ
休職して本当にきつかったのは
序盤は中途覚醒、
傷病手当が振り込まれるまでは金欠です。
休職して初めて、
中途覚醒の症状が出たことで、
本当に心身ともに
追い込まれていたことを実感しました。
休めば休むほど、
中途覚醒の症状は改善しましたが、
金欠は傷病手当の振込は元々遅く、
さらに会社の振り込みが遅れ、
苛立ちしかありませんでした。
好きだったことを思い出すまでに時間を要した
休職している間、
転職活動を進めていました。
転職活動が終わると
何をしていいのかわからず
ただただぼーっと過ごすことが
多かったような気がします。
人生で最も
暇を持て余していた時間でした。
今まで何が好きだったんだろう。
それを思い出すのに時間がかかりました。
結局、ゲームをしたり、
フラっと車で出かけたり、
徐々に好きだったことを思い出しながら、
好きなことに取り組んでいました。
産業医面談で逆に悪化
人事部もなかなか酷い人間の
集まりでしたが、
産業医も本当にクソでした。
産業医含めて、
会社関係者には金輪際、
会いたくないです!!!
ブラック産業医にぶち当たる
産業医面談で言われた一言で、
最も忘れられないのは
「健康上の理由による異動はわがまま」
ですね。
この言葉を聞いた瞬間に、
異動に対する希望は消えたし、
復職する気も失せました。
なんなら産業医の方から
「文句あるなら転職すれば?」と
半ば退職勧告をされたようなものなので、
2度と戻るもんかと決意は固かったです。
復職や体調改善に向けて
取り組んでいたはずの産業医面談が、
地獄と化していたので、
本当に憂鬱でした。
こんな人がメンタル系の
プロフェショナルの医者とか
笑っちゃいますよ。マジで。
もし転職先が決まっていなかったら、
休職満期まで粘って、
面談担当者を変えてもらって、
ダラダラしていたかもしれません。
自分を変えたい挑戦期間
本当に色々考えた末に、
死んでも復職したくないと思ったので、
転職活動に挑戦することに決めました。
最悪のメンタルになる前に転職活動に挑戦
1ヶ月間は体調を整えることと、
情報収集に専念し、
その後、多少落ち着いたメンタルで
転職に臨みました。
職歴・スキルのなさを痛感した転職活動
とはいえ、
職歴半年未満、
大したスキルもない状態での
転職活動は難色を示しました。
当時の自分のスペック
- 国立大学院卒
- 学会受賞歴あり
- TOEIC 700点over
- 分析機器を複数使いこなせる
- 英会話はほぼできない
ほぼ200社に書類提出
具体的な転職活動の状況は
下記の記事たちに詳細に記しています。
この辺になると、
「絶対に辞めてやる!」
という強い執念がありました。
なんとなく辞めたい。
ちょっとだけ転職活動やってみよう。
なんて、甘い気持ちでは、
絶対に失敗する性格だったので…
適度な追い込みこそが、
自分を強くすると確信しています。
僻地勤務・地方勤務はコロナ禍が逆にチャンス?
僻地在住・地方勤務でしたが、
面接はほぼオンラインだったので、
余計な交通費の出費はありませんでした。
むしろ、1次面接から
対面でという会社は
こちらからお断りしていました。
なので、僻地だから、地方だから、
転職活動にお金がかかるというのは
現状、あまりないのではないかと思います。
明るい兆しが見えた回復期間
本当に書類で落とされてばかりでしたが、
なんとか面接も通過するようになり、
少し自分に自信が持てるようになりました。
人生を変える出会い「内定」
修羅の道を潜り抜け、
ありがたいことに
希望職種で内定をいただきました。
外資系化学メーカーの研究職として内定
外資系だったのは想定外でしたが、
ありがたいことに念願かなって、
研究職の内定をいただきました。
詳細は下記記事に書いております。
第二新卒でも激レアな転職に成功
今思えばありえないくらいの、
ラッキー内定だったと思います。
前職場と比べて、改悪した待遇は
傷病手当以外に給付金がないことと、
基本給が1万円減ったことです。
※収入自体は増えました。
年収・勤務地・会社規模・福利厚生
様々な点がむしろ良くなったので、
大逆転転職と呼べると思います。
普通の第二新卒の転職であれば、
キャリアアップというよりは、
自分の不満のどれかを改善するための
転職が多いような気がしますが、
自分は多くの不満を解消してしまいました。
本当に内定がいただけてよかったです。
休職続行、その後は一度も出社せず
転職するって決まったのに、
わざわざ復職するメリットが
思いつきませんでした。
引き継ぐような仕事も
なかったですしね〜。
新入社員だからできる荒技でしたね。
産業医面談「転職先決まったんで辞めます」と宣言
ほぼ月1で産業医面談を行なっていましたし、
人事も必ず同席していたので、
産業医面談で
「転職先決まったんで辞めます」
と言って、退職の旨を伝えました。
産業医も
「転職先決まってよかったね〜」と
お前?何様なのって態度で
逆にむかついてしまいましたね。
その後、退職届を
人事担当者に郵送しました。
退職願?そんなの書きませんでした。
本当に前職場とは
相性が悪かったと思うことにしています。
復職せず退職手続きもメールで完結
退職の旨を伝えた面談で、
「まだ体調悪いんで復職は無理です」
と言って、退職日まで休職決定。
その後の手続きも、
メールや郵送で対応しました。
私物は自宅宛に郵送してもらいました。
もう、休職すると決めた日に
ある程度の私物を回収したのが、
功を奏したと思います。
いつばっくれてもいいように、
極力、会社には私物を置かない
努力も大切になってきますね…!
不安でいっぱいの社会復帰期間
内定先には休職を伏せて入社、
5ヶ月ぶりの社会人生活に
馴染めるかとても不安でした。
しかし、とても良い人や環境に恵まれ、
なんとか社会復帰ができました。
給料計算も他の会社がやっているので、
休職歴もバレずにすみました。
外資の洗礼、能力の無さを実感
前職の人たちも
一部の人は優秀でしたが、
誰もが名前を知る大企業出身の方が
ゴロゴロといてびっくりしました。
みんな英語ペラペラで、
3ヶ国語以上喋れる人も多いです。
わかっていたけど英語が喋れない
入社して1ヶ月間は
「日本語ワカラナイ」と
何度も言われて、
自分の言いたいことを伝えるのに
とても苦労ました。
最近は
「前より喋れるようになったね!」
とお褒めの言葉をいただき、
ありがたい限りです…
現時点ではとりあえず、
TOEIC系の単語帳を買い漁って、
使えそうな表現をあれば
ひたすら覚える作業を
隙間時間に行なっています。
会議の内容が理解できない
かろうじて日常会話は
なんとかなっても、
いまだに英語会議の内容は
ついていけませんね。
専門用語も飛び交い、
早口で訛りのある英語を
聞き取れるようになるのは
まだまだ先の出来事のようです。
初めて仕事が楽しいと感じ、積極性が生まれる
自分の仕事や環境がマッチすると
天職のように感じて、
おおよその仕事が楽しくて仕方ないですね。
仕事に対しても前向きになりました。
やっぱり研究やそれに関する作業が好きだった
途中の面接では
「なんでそんなに研究が好きなのに
博士課程に進学しなかったの?」
と言われました。
経済的な理由で断念しました。
むしろ、他者から
そう言っていただけるくらい
自分は研究が好きだったんだなと
今でも思います。
単なる雑用でも、器具の洗浄でも、
前の仕事に比べたら楽しいです。
「ラボ好き!ラボ楽しい!」という
強い気持ちと愛情で手に入れたのは
当面の異動がない理想のキャリアパス
積極性と挑戦心と熱意で
内定をぶんどった感じはあります。
部署の問題や課題に気づき、改善の気持ちが芽生える
前職場とは異なり、
他部署や他のチームとも
交流ができているのが嬉しいです。
うちではこうしてるけど、
他はどうしているのかな?
という素朴な疑問もあり、
都度、人を捕まえては
質問や議論したりします。
そこから、
もっとこうしたら
効率が上がるのではないか?
職場環境が改善するんじゃないか?
というアイディアも
湧いてくるようになりました。
前職には1ミリもなかった
積極性と熱意が
発揮されてよかったです(笑)
まとめ
上記を踏まえて、
社会人1年目に実感した、
大切なことを述べようと思います。
1年未満で仕事を辞めることは悪ではない
そもそも、「退職=悪」という考え方は
日本人の終身雇用に根付くものだと
思っています。
外資系に転職し、
キャリアに重きを置く人と触れ合って、
会社を辞めるのはその人の門出!
むしろお祝いすべき!
という考え方に出会いました。
合わないものは合わないので、
変に未練がましく縋らずに
スパッと見切りをつけて、
合わない会社だと
見抜けなかった自分も悪い!
運が悪かった!
くらいのマインドの方が、
次に進みやすいと思います。
変に拗らせると
余計にメンタルが
悪化すると思いました。
潔さも時には武器になります。
妥協してもいいことなんてなにもない
これが自分の「納得内定だ」と
自分に思い聞かせるのは
本当に良くないと思いました。
真の納得内定とは
自分の妥協できない条件を
全て満たすことになります。
自分にとってそれは職種でした。
研究職として働いている今は
とっても幸せです。
挑戦しなければ何も変わらない
現在の職場に入って思うことは
「マジで転職してよかった」です。
合わないと環境で無理して、
心身ボロボロになり、
なんのスキルも身につかないのは
時間の浪費だと感じてしまいます。
あんな会社、早めに見切ってよかった。
会社が宗教団体と化している。
本当にやめてよかったです。
今の職場では、
自分の性に合っているのもありますし、
成長できている実感が
常に得られているのが
とても楽しいと感じます。
もちろん、
「マジ。だるいわ。今日。」
と思いながら仕事する日もあります。
自分のストレスも減ったし、
だるい日・気持ちが乗らない日があっても、
なんとか毎日出社できています。
あの時の自分が
果敢に転職活動へ挑戦したからこそ、
ストレスフリーな生活を手に入れました。
文句や愚痴ばかり言っていても
行動しなかったら、何も変わらないし、
それは時間の浪費とも言えます。
自分のスキルアップに時間を割く方が
よほど建設的だと思います。
自分が「大逆転できた理由」とは?
行動力・計画性・過去の自分の努力
これら3つがあったから、
成し遂げられたと思っています。
適当にエージェントの
言いなりになったり、
やりたい仕事がないと
投げやりになったり…
自主性がないと厳しいと思います。
あとは心身の健康も重要なので、
転職活動は二の次にする方が、
大切だと思います。
予想以上に辛辣な言葉を
浴びることも多いですからね。
色々あったけれど、
いい環境で働けています。
過去の自分の努力に乾杯!
明日からは22卒の気分で、
また、気持ちを新たに
ほどほどに頑張ろうと思います。
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